2010年12月22日
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下高井戸商店街のルーツが見えてきた (ついでに安心堂、ロバパン)

Written By: 川俣 晶連絡先

 思いがけない方向より、ひょうたんからコマが落ちてきました。

 屋敷神調査の副産物です。

下高井戸商店街について §

 下高井戸の謎は、下高井戸宿の中心地が桜上水駅付近であるはずなのに、現在下高井戸と呼ばれる駅も商店街もずっと東にあることです。そして、そのほとんどは下高井戸ではなく松原にあります。

 しかし、「ふるさと世田谷を語る」の松原あたりのところを読んでいて凄い図に当たりました。(p116~117)

 「大正中期の甲州街道沿いの商店」創立百周年記念誌(注:松沢小学校の、らしい)という図が乗っていますが、明らかに現在よりも東側に多くの商店が存在します。現在は商店街ではない地域です。現在の下高井戸交差点から、火薬庫に近い位置まで続いています。

 更に横にある「大正2年頃の松原のまわり」という地図を見ると、そのあたりに振られた地名は「七けん町」です。

まとめると §

  • 現在の下高井戸商店街のルーツは明らかに、松原の七軒町商店街(仮称)にある
  • 下高井戸駅や下高井戸商店街の大半が松原にあるのは、七軒町商店街(仮称)をルーツに持つ以上当たり前である
  • 下高井戸商店街の歴史は、かなり古く遡れるらしい (少なくとも江戸時代まで) が、それと下高井戸宿の話が噛み合わないのは当然である。現在の下高井戸商店街は下高井戸商店街ではなく、七軒町商店街(仮称)であったからだ

考察 §

 では、なぜ状況が混乱したのかといえば、おそらく京王が松原に駅を作る際に、下高井戸と命名してしまったことでしょう。下高井戸の駅で降りれば、目の前にあるのが下高井戸商店街だと思うのはある意味で当たり前。しかも、七軒町駅は別途世田谷線に存在します(現存しないが昔はあった)。

余談 §

 実はこの「大正中期の甲州街道沿いの商店」という図。驚いたことに安心堂(文具・雑貨屋)が載っています。しかも、松沢小学校のすぐ横。おそらく、今と同じ場所。しかも、店主は上保さんとなっています。前にお会いした上保さんのおそらく親戚の方が昔からやっているのでしょう。18の店が描いてありますが、おそらく現在まで続くのはこの安心堂だけです。

余談2 §

 やや。書き込もうと思って何気なく本文を見たら、他の商売と並んで「ロバパン屋」が代田橋から売りに来た、という記述が。物売りが来たという話で、店があったわけでは無いようですが。まさか、ここでロバパン屋の文字に出会うとは。

余談3 §

 この話は、いくら下高井戸を調べても分からないのは当然です。この話は松原を調べて始めて分かる話です。最初から調べる方向性を間違えたようです。

下高井戸周辺史雑記